
同じ出来事でも、見る人が変われば意味はまったく違ってしまう――。
コミックエッセイ『あなたの正義 わたしの絶望 ~その「主観」が毒になる時~』(理系女ちゃん著)は、そんな“認識のズレ”を描いた作品です。
第1話『先輩は綺麗な人だった』は、以前Xで10万いいね!を獲得した漫画のリメイク版としても話題に。SNSでは「対比にゾクッとした」「視点が変わるだけで何もかもが変わる」と反響を呼びました。
物語を読んだ多くの人が抱く疑問――「これはストーカーになるの?」「どこからが違法?」。恋愛と受け取るか、恐怖と感じるか。その分かれ目は、法律ではどう判断されるのでしょうか。
今回は、作品をきっかけに浮かび上がるこうした疑問について、ストーカー規制法の観点から考えます。

物語は、男性主人公の視点から始まります。新人研修で出会った美しく優秀な先輩。ネガティブな自分を励まし、丁寧に指導してくれる彼女に、彼は恋心を抱きます。
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歓迎会での何気ない会話、仕事終わりのやり取り。彼の中では、それらは特別な時間でした。「先輩も僕を気にしているのではないか」と感じ、バーで相談した店員から「それ絶対脈アリだよ~」と背中を押されると、その確信はさらに強まります。彼にとっては、相思相愛は疑いようのない事実でした。
実際に、彼は何度も食事に誘います。「今週末ディナーに行きませんか?」「仕事の疲れ残ってて…ごめんね」そんなやり取りが続きます。彼は多忙だから断られているだけと受け取り、先輩を支えたい一心で仕事に打ち込みます。
上司に褒められるたび、「全部先輩のおかげです」と伝える彼。その言葉に先輩が微笑んだように見えたことも、自信を深める材料になりました。

しかし、同じ出来事が先輩の視点で描かれると、印象は一変します。
断っても続く誘い、しつこく届くメッセージ、職場で広まる「二人は付き合っているらしい」という噂。ある飲み会では、彼が同僚の前で「僕の女」であるかのように語る場面も描かれます。先輩にとって、それは好意ではなく、自分の意思が無視されている感覚でした。
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距離を置こうと連絡を控えても、メッセージは止まりません。LINEをブロックすると、今度は会社のメールに連絡が届くようになります。彼にとっては心配や応援のつもりだった行為が、先輩には恐怖として積み重なっていきました。
同じ出来事でも、受け取る側が違えば意味は変わる。二人の間にあったのは恋だったのでしょうか。それとも、主観のすれ違いだったのでしょうか。
弁護士に聞く:どこからが「ストーカー行為」?

今回お話を伺ったのは、弁護士法人プロテクトスタンス所属の金岡 紗矢香(かなおか さやか)先生。男女トラブルや離婚問題、労働問題などを中心に幅広い分野を手がけています。
「好意のつもりだった」「そこまで嫌がっているとは思わなかった」こうした“認識のズレ”が、法的にはどのように判断されるのかを解説していただきました。
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──物語後半、先輩視点で描かれた出来事がすべて「事実」とするならば、後輩の行動は法的に「ストーカー行為」と認められるのでしょうか?
金岡さん:物語後半の出来事が事実であれば、後輩の行為は「ストーカー規制法(ストーカー行為等の規制等に関する法律)」で処罰の対象となる「ストーカー行為(つきまとい等)」(同法第2条1項)に該当する可能性があります。待ち伏せや執拗な連絡、名誉を害する事項の告知などの行為は典型例です。名誉を害する内容については、真実か虚偽かを問いません。
これらの行為が、恋愛感情その他の好意の感情を充足する目的で、特定の相手に対し反復して行われ、不安を覚えさせる態様に至れば「ストーカー行為」として処罰対象となり得ます。特に待ち伏せは被害者の不安を強める行為として、「ストーカー行為」に該当するかどうかの重要な判断要素となります。
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──彼から先輩へのメッセージは「ディナーに行きませんか」などのお誘いが主であり、先輩の返信も「今日は疲れているから」など曖昧なものでした。このような場合でも「ストーカー行為」として認められますか?
金岡さん:必ずしも文言による明確な拒絶がなければ、ストーカー行為が成立しないわけではありません。重要なのは、相手に受け入れる意思がないことが客観的にうかがえるか、そして、その後も行為が反復されたかどうかです。
職場では、立場や人間関係を考慮して明確な拒絶を避ける場合も少なくありません。「今日は疲れている」などの返信が繰り返され、実質的に応じる意思がないと理解できる状況で、なお執拗に誘い続ければ、相手の意思に反する連絡として評価され得ます。メッセージの内容だけでなく、メッセージを送った経緯や回数、時間帯など、総合的な事情が判断材料となります。
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──ストーカー行為が認められた場合、どのような罰則がありますか?
金岡さん:ストーカー行為は「ストーカー規制法」によって処罰され、罰則は1年以下の拘禁刑または100万円以下の罰金です(同法第18条)。また、つきまとい行為などに対する公安委員会の禁止命令などに違反した場合は、2年以下の拘禁刑または200万円以下の罰金が科されます(同法第19条)。
さらに、行為の内容によっては、刑法の「脅迫罪」(2年以下の拘禁刑または30万円以下の罰金・同法第222条)や「名誉毀損罪」(3年以下の拘禁刑または50万円以下の罰金・同法第230条)などの犯罪が成立する可能性もあります。
なお、刑法の改正により「懲役」「禁錮」は「拘禁刑」に一本化されました。
──彼の行為は「好意」によるものであり「悪意」に基づくものではないと推測できます。このような場合でも「ストーカー規制法」が適用されるのでしょうか?
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金岡さん:適用される可能性があります。ストーカー規制法は「恋愛感情その他の好意の感情」や、それが満たされなかったことに対する怨恨の感情を充足する目的で行われる行為を規制対象としています。したがって、加害者が「善意」や「愛情」による行為だと考えていても、相手が拒絶しているにもかかわらず不安を与える行為を反復すれば、法的責任を免れることはできません。
法律が保護しているのは被害者の生活の平穏であり、動機の善悪よりも、目的と行為態様、被害者に与える影響が重視されます。
──本作はあくまで両者の主観を描いたものであり、どちらが正しいかの判断は読者に委ねています。たとえば女性側が嘘をついて「ストーカー被害にあった」と同僚に拡散していた場合、彼女は何らかの罪に問われますか?
金岡さん:仮に女性側が虚偽の事実を周囲に伝え、相手の社会的評価を低下させた場合は、女性側に名誉毀損罪が成立する可能性があります。具体的な事実を示さない場合でも、社会的評価を害すれば「侮辱罪」(刑法第231条)が問題となります。
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また、虚偽の内容により相手の業務を妨害した場合は「業務妨害罪」(同法第233条)、もし刑事処分や懲戒処分を受けさせる目的で、警察などに虚偽の被害申告したのであれば虚偽告訴罪(同法第172条)が成立し得ます。
さらに、刑事上の問題だけでなく、民事上の責任として、不法行為に基づく損害賠償を請求される可能性もあります。
──本作のように、被害者と加害者で事実認識が食い違うというケースは多いと思います。そういった場合、どのように“本当のこと”を判断すると良いのでしょうか?
金岡さん:法的手続では、客観的証拠と供述の信用性を総合して事実が認定されます。具体的には、メッセージの履歴、送信時刻、通話記録、防犯カメラの映像、第三者の証言などが重要な資料となります。双方の説明に一貫性があるか、証拠と整合しているか、社会通念に照らして不自然ではないかといった点も検討されます。
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主観的な認識が対立する場合でも、時系列で記録を整理し、客観資料を積み重ねることが判断の決め手となります。警察や弁護士などへ早期に相談し、証拠を保存することが極めて重要です。
好意がすれ違わないために知っておきたいこと

物語の中で描かれたのは、同じ出来事でも、男性には“純愛”、女性には“恐怖”として映っていたという現実でした。
私たちの身近な人間関係でも、気持ちの受け取り方がすれ違うことはあります。好意のつもりが相手を追い詰めてしまうこともあれば、事実と異なる噂が思わぬトラブルにつながることもあります。
だからこそ、相手の沈黙や曖昧な返答を都合よく受け取らないことが大切です。違和感を覚えたときは感情だけで判断せず、記録を残し、早めに相談するという冷静さも必要になります。
「好き」という気持ちは尊いものですが、それが相手の意思や安心を脅かしていないかを立ち止まって考えることも、同じくらい大切です。本作は、その視点を静かに教えてくれる一作と言えるでしょう。
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【金岡紗矢香さんプロフィール】
金岡 紗矢香(かなおか さやか)/弁護士法人プロテクトスタンス
弁護士・行政書士。国内大手飲料メーカーの勤務を経て、弁護士資格を取得。浮気・不倫といった男女トラブルや離婚問題、刑事事件、借金問題、セクハラ・パワハラなどの労働トラブル、相続手続きなど、さまざまな分野に精通し、女性からの法律相談に幅広く応じている。現在、2児の母親として子育てにも奮闘中(第一東京弁護士会所属)。
文=たまみ
アパレル・医療職を経て、現在はウェブライターとして活動中。3人の子どもを育てながら、20年近く仕事と子育てを続けています。家事も仕事も完璧にはできないけれど、「がんばりすぎない」を合言葉に日々奮闘中。慌ただしい毎日の中で見つけた小さな気づきや工夫を、等身大の視点でお届けします。
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