
【本記事には震災時の状況を具体的に描写した内容が含まれます。過去の体験により不安を感じる可能性がある方は閲覧にご注意ください。】
2026年は東⽇本⼤震災から15年の節目となる年。
当時仙台に住み、1歳の息子と自宅避難を余儀なくされたアベナオミさんは、その実体験を当時の詳細なメモをもとに描いたコミックエッセイ『今日、地震がおきたら』を発表しました。
この作品は避難所ではなく、ライフラインの止まった「自宅」で震災以降の日々を過ごした様子を描いています。そこには、テレビに映る避難所の様子とは異なる、淡々とした、しかし切実で不便な「日常」がありました。
15年の時を経て、今あらためて「震災後の日々」を見つめるこのエッセイについて、アベさんにお話を伺いました。
『今日、地震がおきたら』あらすじ
2011年3月11日。
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穏やかな午後の静寂は、突如として鳴り響く地鳴りと激しい揺れによって切り裂かれました。

アベさんは仕事の移動中、夫は勤務先、そして1歳7カ月の息子は保育園。
家族三人は、それぞれ別の場所で未曾有の震災に遭遇します。
ようやく自宅アパートへ辿り着いたアベさんを待っていたのは、大きな揺れで変わり果てた部屋でした。激しい揺れのために窓の鍵はすべて外れ、室内には家具や家財が散乱し、足の踏み場もありません。

余震が続く中、保育園から息子を無事連れて帰ったものの、夫とは連絡がつかず、手元のスマホの充電も残りわずか。深い孤独と不安に包まれる中、夫が帰宅したのは夜22時を過ぎた頃でした。

夫との再会を喜びつつ一夜を明かしますが、翌朝には電気も水道も止まっていました。
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情報が遮断された暗闇の中、冷え込みの厳しい冬の寒さが追い打ちをかけます。夫は「避難所へ行くべきでは」と提案しますが、アベさん夫妻の前には大きな壁が立ちはだかっていました。息子には、食物アレルギーとぜんそくという持病があったのです。

衛生環境への懸念から、集団生活は現実的ではない――。
そう判断した二人は、避難所ではなく自宅で過ごす「中間被災者」としての道を選択します。
それからは、一滴の水も無駄にできない極限の生活が始まりました。風呂も使えず、洗濯を控え、わずかな水で歯を磨きます。中でも、トイレが一番の問題でした。水で流せないことと、生理中だったことも重なり、次第ににおいがこもっていきます。雪解け水や洗い物で使った水などを貯めて数回おきに流しますが、ストレスは溜まる一方。
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電気の使用を減らすために、日が落ちてからの活動を極限まで減らす日々。しかし、アベさんをもっとも追い詰めたのは物理的な不自由さだけではありませんでした。テレビの向こうで流れる凄惨な被害状況と自分たちを比べ、被災者特有の「生存への罪悪感」にさいなまれます。
「五体満足で、自宅の布団で寝られる自分が弱音を吐いてはいけない」

被災3日目、ようやく電気は復旧したものの、断水は続き、物資不足も解消されません。降り注ぐ余震の恐怖と、ネット上で飛び交う根拠不明の情報。「目に見える被害」がないからこそ、誰にも頼れず、終わりの見えない不安にアベさんの心は限界に近づいていくのでした……。
被災した日々を描いたエッセイにこめた思い
――震災から15年が経とうとしています。世の中の防災意識が変化する中で、『今日、地震がおきたら』というタイトルに込めた想いを教えてください。
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アベナオミさん:地震が起きたのは2011年3月11日ですが、その日の朝は、誰にとってもいつも通りの朝で、それぞれがいつも通りの金曜日を過ごしていたんです。明日が卒業式や卒園式だった家庭も多く、晴れの日を楽しみにしていた日でした。
誰一人として「今日、地震がおきたら」とは思ってなかったということを、読者に感じてほしくてこのタイトルに決めました。
――「当時の詳細なメモをもとにまとめた」と前書きにあります。当時は大変な状況だったかと思いますが、なぜそこまで詳細なメモを残せたのでしょうか。その時の衝動や思いについて教えてください。
アベナオミさん:震災直後、この地震は発生が予測されていた宮城県沖地震(※編注:宮城県沖で周期的に発生している地震のこと)だと思っていました。でもその後20時間以上経過して初めて「日本全体を揺るがす巨大地震に遭っている」と知ったんです。当時はそのくらい情報が遮断されていた。
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1歳の息子と過ごすうちに「この子は成長したとき、こんな大地震に遭ったことはきっと覚えていない。大きくなったときに正確に話せるように記録をつけておこう」と思いました。私自身も寝る前にその日あったことを記録することで、「今日も私も家族も生きていた」という気持ちの整理になっていました。

あちこちで聞いた「避難所に行けばなんとかなると思っていた」の声
――震災というテーマを扱う際に、もっともこだわった表現は何ですか? また、気をつかった点や苦労した点などもあれば教えてください。
アベナオミさん:たくさんの方が犠牲になった東日本大震災を題材にすること自体、申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
2016年に防災士になってから、全国あちこちの防災セミナーに呼んでいただいて講演をしてきました。多くの会場で聞こえたのが「震災後の在宅避難の生活がイメージできない」「テレビでは避難所の映像ばかりで、正直避難所に行けばなんとかなるだろうから準備しなくていいと思っていた」という声でした。
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もちろん防災セミナーに足を運んでいる時点で防災意識は高い方が多いと思います。しかし、想像できないからこそ進まない防災対策もあると感じていました。想像してもらうためにも、当時のことを事細かに描くことにこだわりました。
今回、執筆にあたって編集者さんとよく交わした言葉が「ただただ淡々とした不便な日常」と「その場にいた人にしか味わえなかった空気感」、この2つでした。これを感じてもらうことで、読者の方に防災意識が芽生えてほしいと願っています。

――特に印象に残っているエピソードを、作品の中から教えてください。
アベナオミさん:「こんな大地震でも 生きているなら 何か役に立ちたかった!」と泣いているシーンです。
――震災から8日目、ずっと溜めこんでいたストレスが、涙と一緒にあふれだしてしまった場面ですね。それまで抑え込んでいた気持ちの限界が伝わってきてきました。
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アベナオミさん:この日は25歳最後の日で、翌日は誕生日。25歳という一番動ける年齢で、こんなに大きな災害が起きて、スコップ片手に泥かきボランティアにも行ける健康な大人なのに、私にできるのは長男と自宅で過ごすだけ。そのことがとても悔しかったんです。
さらに、自分の家で、自分の布団で眠っていることにもすごく罪悪感を感じていました。だから、津波ですべてを奪われた人に比べたら、被災していないに等しいと自分に言い聞かせてもいたんです。
被災地以外のエリアから見れば「被災者」の大きな枠に入っていたと思いますが、私のように無事でいることへの「罪悪感」を抱えて自宅避難生活をしている方は多かったと思います。

そして、のちのち知ったことですが、地元が被災三県で、進学や就職、結婚などで地元を離れていた人も「自分だけ被災していない罪悪感」を今も抱えている方が多くいました。私の身近にも何人かいます。
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その方々は、被災地で震災に遭った私たちよりも、震災に対する罪悪感が大きいようにも感じます。「被災地にいたアベですら罪悪感を感じていたんだから、被災していないあなたの罪悪感は、そろそろ棚卸して大丈夫」そんな気持ちも込めた一コマです。
読者の声「同じような罪悪感を感じていた」
――読者の方からの反響はいかがですか? 寄せられたコメントなどで印象に残っているものがあれば聞かせてください。
アベナオミさん:地域はさまざまですが「私も同じような罪悪感を感じていました」というコメントが一番多いです。同じ地域に住んでいた方からのコメントも多い印象です。
「大変ではあるけど近隣の津波被災地に比べたら無傷に等しい」「電気が来ない、水が出ない、食料が買えないくらいで弱音を吐いてはいけない」、そう思っていた方が本当に多かった。

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次に多いのが「避難所以外で生活していた人たちのことが知れてよかった」というコメント。テレビで放送されるのは、避難所の様子ばかりで在宅避難者がトイレをどうしていたのか、食事の用意やお風呂、どんな日常を送っていたのかやっと知ることができたという内容が多いです。
在宅避難者の生活を知ったことで「どんな防災対策が必要かやっと理解できた」という防災対策への意識の変化につながった読者の方も多いです。これは、私にとってもすごくうれしいことでした!
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テレビに映る「避難所」の影で、語られることの少なかった「自宅避難」のリアル。そこには、不自由さへの戸惑いだけでなく、無事であることへの複雑な罪悪感も存在していました。
あの日、それぞれが抱えた癒えない痛みや「棚卸し」できていない感情に、この作品はそっと寄り添ってくれます。2026年という節目を迎える今だからこそ、アベさんの紡ぐ「淡々とした日常」の記録を通じて、あらためて家庭の防災対策を見つめ直してみませんか。
取材・文=山上由利子
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